<私>を思い出すこと、         それが悟りです!

悟りカウンセラー・ドルフィニスト篤が、
自覚で悟りに至るためのヒントを綴ります。
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奉仕のススメ 〜自我の解体〜

こんにちは。

Dolphinist Academyのドルフィニスト篤です。

 

 

先日、京都・清水五条にてメンバーシップの方と共に

悟り合宿を行いました。

 

 

 

 

毎度のことですが、今回もとても濃くて深い合宿になり、

参加された方々はたくさんの刺激を受けて帰られました。

 

 

今でも、その後の自覚やシェアが続いていて、

どれほど凝縮した学びだったかが伺えます。

 

 

 

合宿の中でも触れたのですが、

このブログで、もう少しまとめておきたいことがあるので、

書こうと思います。

 

 

 

<私>の本性は、愛、信頼、安心、幸せ、喜びそのものです。

 

 

しかし、自我はそれらが「私にはない!」、

「不足している!」と感じ、

この不満は、外側のせいだと主張したくて、

不満を解消するために、外側に解決を求めます。

 

 

自我は、自分が変化することを望まないので、

「あの人のせいだ!」

「あの状況がいけないんだ!」と、

原因を外側に転嫁して、外側を悪に仕立て上げて、

自己保身をしようとします。

 

 

実際には自我は実体がなく、幻想なのに、

自分の正当性を主張し、拒絶したり、抵抗して、

自我が存在することを主張して、留まろうとするのです。

 

 

このように、拒絶、抵抗そのものが自我であると言えます。

 

 

つまり、自我は、いつでもどこでにでもある

愛、信頼、安心、幸せ、喜びそのものである

本性に対して抵抗し、受け入れないわけです。

 


このように、本性と戦っているか、

殻にこもって、卑屈になって、

惨めさを感じているのが自我です。

 

 

決してあるがままを受け入れようとはしません。

 

 

そして、不足を埋め合わせるためには、

目の前の現実を克服し、戦おうとします。

 

 

当然のことですが、苦しみがいつも伴います。

 

 

 

このように自我は、頑固に本性に抵抗するわけですが、

愛、信頼、安心、幸せ、喜びを<私>の中に見い出し、

抵抗をやめるには、どうすればいいのか・・・

 

 

 

これは人生における大きなテーマだと思います。

 

 

 

私がお勧めしているのが、

<私>を愛し、

「<私>がやりたいことをやる」という

<私>への奉仕です。

 

 

何をするかと言えば、

<私>の中から溢れてくる思いや、情熱を大切にして、

行動してあげるのです。

 

 

そうすることで、

<私>の中にある愛を確信していくことができます。

 

 

具体的に話していくと、

 

 

最初のうちは、

・休みたい

・〜を飲みたい、食べたい

・心地いい気分になりたい

 

 

そんな肉体的欲求に耳を傾けることになるかもしれません。

 

 

また、

・人に愛されたい

・認められたい

・信頼されたい

 

 

・出世したい

・権力を持ちたい

・有名になりたい

・お金持ちになりたい

 

 

そんな欲が溢れてくるかもしれません。

 

 

最初は、そのような自我を満たすことに関心が向くでしょう。

 

 

このような欲をまず満たしてあげます。

 

 

 

そのように自我の欲求を満たすことを繰り返していると、

あるときから、いつも同じことを繰り返しているだけでは

満たされず、不毛な感覚になるかもしれません。

 

 

 

そのような状態が長く続くと、

倦怠感、飽きを感じるようになり、

生きている意味が感じられなくなり、

限界に突き当たるかもしれません。

 

 

 

これは、自我ばかりに関心が向かい、

その繰り返しに魂がうんざりするのです。

 

 

自我ばかりに関心が向かっているとき、

<私>は、自我に拘束されているのであり、

そのときにも苦しみが伴います。

 

 

 

<私>が本当に願っているのは、本性の愛、信頼、安心、幸せ、喜びに

関心が向かい、それを見い出すことなのです。

 

 

 

 

しかし、これは誰かが「こっちだよ」と

方向を指し示すことはできても、

実際に愛、信頼、安心、幸せ、喜びは

自分で見つけ出すしかありません。

 

 

 

では、どうすれば良いか・・・

 

 

 

その突破口として次にお勧めするのは、

<私>への奉仕を通して、

全体、あるいは他者へ奉仕することです。

 

 

(他者への奉仕と書くと、宗教と誤解されそうですが、

宗教とは一切、関係がありません。)

 

 

 

最初は、<私>に奉仕しようとすると、

自我を満足させることばかりに関心が向かいますが、

<私>への奉仕を情熱的に続けていれば、

自然に全体、あるいは他者への奉仕に関心が向いてくるはずです。

 

 

関心が向いてくるという表現が適切でなければ、

自然とそうしたくなるという感じです。

 

 

 

全体、あるいは他者への奉仕というと、

宗教でよく言われる利他の精神です。

 

 

 

奉仕にも様々な形があり、一般的に奉仕というと、

他者に尽くし、自己犠牲するというイメージがありますが、

ここで言いたいことはそのように重く、深刻なことではなく、

相手を楽しませてあげたり、

「どうぞお好きなように!」と、

自由を与えてあげることでいいのです。

 

 

すべての人が自覚のある、なしに関わらず、

潜在的に「悟り」を求めているので、

究極的な奉仕は、全体、あるいは他者が目覚め、

愛、信頼、安心、幸せ、喜びそのものである本性を思い出せるように

助けたり、献身することです。

 

 

何かモノをあげたり、特別なことをしなければいけないのではなく、

無理せずに、今の自分ができる貢献でよく、

自分の経験や自覚して気づいたことなどでもいいし、

自分が持っているものを分け合い、シェアすることで、

「考え」の鎖でがんじがらめになっているところを

自由にさせてあげることであり、

また、そのような場を作ることです。

 

 

このように相手の精神が自由になることで、自然に自分の中に

愛があることを思い出したり、

信頼(自信)があることを思い出したり、

安心があることを思い出したり、

幸せがあることを思い出したり、

喜びがあることを思い出すのです。

 

 

奉仕する対象は、家族、友人、自分が関わるコミュニティなど、

自分の身の回りにいる人に対して、

自分ができることをすることで十分で、

大きなことをしようと、無理をしてもあまり得るものはありません。

 

 

最初は、「奉仕とはこういうものだ」という

形から入ることになると思いますが、

形を全うすることが目的なのではなく、

奉仕を通して、自分の中にある愛に目覚めていくのです。

 

 

そして、できれば相手の自我に奉仕するのではなく、

自我の解体を助け、本性を思い出させてあげるような奉仕をします。

 

 

 

これはどういうことかというと

相手の自我を満足させることばかりをするのではなく、

本性を思い出すために、相手の自我が嫌がることもするということです。

 

 

自我は、奉仕することによって相手からの見返りを期待していて、

相手の自我が嫌がることをすれば、当然、相手からの見返りはなく、

相手から見返りもなければ、奉仕する意欲も萎えるかもしれません。

 

 

しかし、それでも奉仕を続けていると、

奉仕することそのものが<私>の愛の確信を

深めてくれるギフトであり、

相手からの見返りがなくても充分だと思えるようになってきます。

 

 

このように、奉仕することによって、

<私>の愛の確信が深まり、

それによって自然に自我を手放すことになるので、

相手からの見返りが必要なくなるのです。

 

 

このように、全体、あるいは他者への奉仕を献身的にしているうちに

自分の中にある愛に目覚め、確信を持つようになるので、

そうなれば、奉仕という形を手放しても、

愛があることを確信できるようになります。

 

 

 

これは、昔から既存の宗教が言っていることですが、

他者、または全体へ奉仕することで、悟りへと至る道です。

 

 

<私>の本性は、他者を含めた全体でもあるので、

<私>への奉仕を通して、

他者、または全体への奉仕になり、

逆に他者、または全体への奉仕は、

すなわち<私>への奉仕になります。

 

 

ただ、奉仕というと「真面目にやらなければいけない」という

義務感が先行しがちで、形に囚われたり、気負ったりしがちですが、

深刻になる必要はなく、軽い気持ちでやればいいのです。

 

 

 

自我の欲求を満たすだけでは、得られる満足は小さく、

得られた満足も一時的で、限界を感じると思います。

 

 

それは、自我という小さな限界の自分ではないことを

どこかで知っているからです。

 

 

自我のやりたいことを自分勝手にやりたい放題することが

喜びではなくなってくるのです。

 

 

それは本性の中の一時的な小さな喜びに過ぎません。

 

 

 

 

「イルカのように生きて、悟る」というと、

自我の喜びだけを追求するように誤解されるかもしれませんが、

イルカは、自我も持ち合わせていますが、

本来、本性そのものとして生きているので、

全体に奉仕することが自然であり、本性の喜びの中にいつもいるのです。

 

 

 

最初は、役に立っているという満足感や価値を自我が感じたいために

他者、または全体へ奉仕しようとするでしょう。

 

 

惨めさを克服し、愛されようと奉仕をしても、

期待したように見返りがなく、

もっと愛される自分になろうとして頑張っても、見返りがなく、

相手を恨むことになるかもしれません。

 

 

「あんなに、やったのに」という言葉が出てくるときは、

「見返りを期待していたのに、得られなかった」という

心境だということです。

 

 

また、「奉仕とはこうすることだ。」

奉仕に対する考えや形ばかりに囚われて、

それを実践しても、見返りがないと不満になりなります。

 

 

奉仕は、何かの教えに従って、教えられた通りにやることではありません。

 

 

奉仕に正解があるわけではなく、

あなたの中から湧いてくる自発的な愛があれば十分です。

 

 

ついつい形や現れに囚われてしまい、

形や現れをきれいにすること、素晴らしくすること、

大きくすることに力を入れてしまいがちですが、

本来、それは問題ではないのです。

 

 

 

もし、見返りがないと不満になっているのであれば、

自我に囚われていることを自覚します。

 

 

たとえ見返りがなくても、奉仕を続けていると、

次第に自我の満足だけに関心を向けるのではなく、

全体や他者が自由になり、目覚めることが喜びとなり、

そちらに関心が向かうようになります。

 

 

そこには、損得勘定もなく、見返りも期待せず、

ただ奉仕し、献身したい<私>がいるだけです。

 

 

 

ただ奉仕し、献身することが嬉しく、喜びになるのです。

 

 

そして、それをやらせてもらえることが、

ありがたくて、幸せなのです。

 

 

 

このようにして、自我(小我)から本性(大我)へと

関心が移行していきます。

 

 

そのとき、自我の欲求にそれほど囚われなくなり、

自然に削ぎ落とされています。

 

 

このように他者が存在してくれるお陰で、

自我を解体することができ、悟りへの道を歩めるのです。

 

 

 

全体、あるいは他者に奉仕しなければいけないと考えると、

やりたくないという抵抗感が生まれるかもしれません。

 

 

これは、あくまで<私>がやりたいことをやることが大切で、

<私>への奉仕が基本です。

 

 

これを間違えると、「奉仕をすることはいいことだ」

「奉仕をしなければいけない」という考えの奴隷になってしまい、

どんなに奉仕をしても、期待したような見返りがなく、

達成感や特別感がなく、不満ばかりが募ります。

 

 

やみくもに形ばかりの奉仕をしても、

自我が解体されることはありません。

 

 

また、損得勘定が気になるのであれば、

手放しで奉仕することは難しいでしょう。

 

 

 

奉仕は特別なことではなく、

人は、他人のニーズをキャッチして、

意識的か無意識的かに関わらず、自然に奉仕をしているものです。

 

 

 

今まで奉仕し続けてきたという自負があり、

疲弊感、徒労感を感じる方は、

今までどれだけやってきたかを自分で認めてあげて、

いたわってあげてください。

 

 

もし、奉仕することに困難を感じるならばやめた方がいいでしょう。

 

 

奉仕は、喜びからやるべきで、

無理に自分に強いると、心の傷になります。

 

 

自分のハートに聞きながら、自分のペースで行ってください。

 

 

 

奉仕の原動力は、全体、あるいは他者に対する無条件の愛、

慈悲の心、思いやりです。

 

 

全体、あるいは他者への奉仕の結果は、

自我が解体され、本性と繋がり、<私>の中に愛を見つけ、

喜びと感謝になります。

 

 

 

もし、あなたが愛されたいのであれば、自分から先に愛するべきです。

 

 

もし、あなたが信頼されたいのであれば、自分から先に信頼するべきです。

 

 

 

自我が求めていることを待つのではなく、

先に与え、奉仕するのです。

 

 

自分から愛(思いやり)や信頼を出すことを続けていれば、

自分の中に愛や信頼があることが

確信できるようになり、やがて外側に愛や信頼を求めなくなります。

 

 

<私>の中にある本性を見つけ出すのです。

 

 

自分の中に愛や信頼を確信できれば、

自分の中にそれが満ち溢れ、<私>の中で循環するようになります。

 

 

そのとき、自分の存在価値を探す必要はなく、

ありのままの自分を心から受け入れることができます。

 

 

そして、<私>の中に溢れる愛や信頼をシェアしたいという

慈悲心に目覚めます。

 

 

そして、すべての行動がその愛に突き動かされていることがわかり、

すべてが本性から起こっているだけであるとわかります。

 

 

また、本性の愛を自覚しているとき、

行動していなくても、存在するだけで、奉仕していることに気づいています。

 

 

不平不満、憎しみや恨みであっても

もともと愛であることがわかります。

 

 

このように自然に湧き上がってくる奉仕心を使って、

自我を解体していく道もあります。

 

 

 

「イルカのように生きて、悟る」をコンセプトに、
日々、自覚を深めるための会員制コミュニティ「悟りメンバーシップ」が、

9月1日よりスタートします。

 

 

今までは、対面での講義を中心としていましたが、

お忙しい方や遠方の方もご参加いただけるように、
オンラインを中心としたシステムへと改定し、

「悟りクラス」から「悟りメンバーシップ」に名称を変更いたしました。

 

 

ただいま、新規会員を募集しています。

 

 

詳しくは、ホームページをご覧ください。

 

 

 

9/2に、12:30〜東京・浅草にて開催される

心と体が喜ぶ癒しフェスティバルで、ドルフィニスト篤、綾子が

「イルカ的自由な生き方」というタイトルで特別講演いたします。

 

 

また、出展ブースでは、「悟りハンドブック」のサイン会、

オーラスプレーの販売もいたします。

 

 

是非、遊びに来てください。

 

 

 

9/2、3、4に東京にて急遽、個人セッションを行うことになりました。

 

 

まだ枠はありますので、ピンと来た方はこの機会にぜひ!

 

 

 

私の著書「悟りハンドブック」には、

どのように<私>を見て、自覚していけばよいかの

詳細が書いてありますので、

まだ読んでいらっしゃらない方は是非、

ご購読いただければと思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

Dolphinist Academy

ドルフィニスト篤

 

 

 

 

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