<私>を思い出すこと、         それが悟りです!

悟りカウンセラー・ドルフィニスト篤が、
自覚で悟りに至るためのヒントを綴ります。
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「受け入れる」「許す」「ゆだねる」ということ
こんにちは。
Dolphinist Academyのドルフィニスト篤です。

 
今日は「受け入れる」「許す」「ゆだねる」について
書いてみたいと思います。


この現実は、「私」が主体であり、「私」が選択し、創造している・・・


悟りに至る過程では、
「私はこの現実を創り出している創造主である」
「私は主人である」
ということを深く認識していきます。


このことを深く認識していく中で、疑問に思うことがあります。


スピリチュアルの世界でよく使われる
「受け入れる」「許す」「ゆだねる」という行為を
どのように解釈すればよいのかということです。


「受け入れる」「許す」「ゆだねる」という言葉は
スピリチュアルの世界では金科玉条のように扱われています。


私の意志で、この現実を選択していることを認識することが
悟りだとすれば、「受け入れる」「許す」「ゆだねる」という行為は
私以外のものに主導権を明け渡す感覚がして、
私が主人であることを放棄することになるのではないか・・・


目の前の現実を受け入れ、許し、ゆだねるというと、
目の前の現実に負けて、降参するようなイメージを
持ってしまうことがあります。


目の前の現実が気に入っていなければ、受け入れ、許し、
ゆだねることに抵抗を感じ、拒否感が生まれます。


抵抗感、拒否感があるのに
「受け入れる」「許す」「ゆだねる」のは、
自分に嘘をついているようで、「私」の選択権、主導権を放棄しているのでは・・・


当然、そういう反応が内側から起こってくると思います。


もちろん、抵抗感、拒否感があるのに、
「受け入れる」「許す」「ゆだねる」ことが
人間として正しいことだという考えから
無理やり「受け入れる」「許す」「ゆだねる」行為をしようとしても
内側で葛藤を起こすだけでしょう。


抵抗感、拒否感を感じるならば、
「あー、私は嫌なんだな〜」
でいいのです。


それ以上でも以下でもありません。


そして嫌なことを選択する必要はありません。


抵抗し、拒否する「私」を充分に愛してあげます。


抵抗し、拒否する「私」を徹底的に、とことんまで
受け入れ、抱きしめてあげます。


そして、もし、「私」に余裕が生まれ、もう一歩踏み込んでみようと
思うならば、以下の観点を持ってみます。


「抵抗感、拒否感を創り出しているのは『私』だな〜」


この観点から、なぜ抵抗感、拒否感を「私」が創るのかを見てみます。



「私」という自我・エゴがあるからこそ抵抗を創り出し、
拒否感を創り出しています。


「私」は、どんな反応も創り出せる創造主ですが、
あえて抵抗し、拒否感を選択しているということです。


抵抗感、拒否感を創ることで、存在を主張しているのが
エゴの「私」だということに気づきます。


目の前の現実を過去の出来事と照らし合わせて、
「また起こってしまうのではないか・・・」
「あの思いはしたくない・・・」
「この事態は私にとって最悪だ!」
と憶測し、判断します。


しかし、目の前の現象はただの事象に過ぎず、
抵抗感や拒否感を創り出す必然性はないのです。


「私」が何かにこだわりを持っているために抵抗を創るわけです。


更に踏み込むならば、目の前の現象をも創り出し、
存在させているのは「私」です。


外側の現象も内面の世界もただあるがまま存在し、
また「私」が存在させているわけですが、
外側の現象と内面の世界を分けているのが、
「私」という自我・エゴだということです。


外側の世界と内面の世界の分離感があるからこそ
「私」という自我・エゴが存在しています。


「私」という自我・エゴがこの分離感を望み、
創造しているということです。


もし、外側の世界と内面の世界の境界線がなければ、
「受け入れる」「許す」「ゆだねる」という概念も生まれないでしょう。


ただすべてがあるがまま存在しているだけです。


外側の現実が自分にとって受け入れ難く、敵のように感じられたり、
受け入れたら負けてしまうと考えたりしますが、
すべては「私」の考えの中の幻想だということです。


ただ、「私」が抵抗し、拒否しているんだな〜


この気づきによって、起こって来るすべての現実を
あるがまま「受け入れ」、「許し」、「ゆだねる」という感覚が
生まれてきます。


悟りに至ると、「私」が主人であることを認識するわけですが、
それは決して目の前の現実に対して排他的になることではなく、
むしろ結果的に受容的になっていきます。


これは無理やりなろうとしても、
「受け入れる」「許す」「ゆだねる」という
考えの奴隷になるだけでしょう。


「私」を愛する結果として、現実に対する抵抗を創るのではなく、
受け入れるという選択をするようになる・・・


このように「私」は考えました。


11/16(土)〜神奈川・葉山で開催するヒーラー養成クラス気任蓮
ドルフィニスト篤



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