<私>を思い出すこと、         それが悟りです!

悟りカウンセラー・ドルフィニスト篤が、
自覚で悟りに至るためのヒントを綴ります。
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「愛」は執着?
 
こんにちは。
Dolphinist Academyのドルフィニスト篤です。
 
 
今日は、「愛」について悟りの観点から書いてみようと思います。
 
 
「愛」について書くと、悟りの観点に慣れていらっしゃらない方にとっては
衝撃的な内容に感じられ、すぐには受け入れられないかもしれません。
 
 
それは正常な反応ですので、そんな見方もあるんだ〜・・・くらいに捉えて、
気にせずにこの文章を流してしまってください。
 
 
私達が一般的に「愛」と言うと何を連想するでしょうか?
 
 
・ 男女のコミュニケーション、ふれあい
 
 
・ 他人に対する思いやりのある行動、親切な行動、配慮のある行動、奉仕心
 
 
・ 動物や自然に対しての慈しみの心
 
 
・ 家族や職場を大切にしようとする意識、守ろうとする意識
 
 
・ 作品や仕事に対しての責任感や情熱、こだわり
 
 
私達は知らない間に「愛」に対して様々な定義を創ってきました。
 
 
男女の愛については、数限りない形があり、カップルごとに
違う世界が繰り広げられています。
 
 
私達は「愛」についてあまりにもたくさんの物語を創り出し、
「愛とは、〜するもの」という思考をたくさん生み出してきました。
 
 
そして、「愛があるならば、〜するべき」という考えをたくさん持っています。
 
 
でもそれらは、どれかが正しいのではなく、すべて考えに
過ぎないということです。
 
 
一般的には、外側の対象に働きかけることが愛であると考えますが、
私達はその行動によって何を得ようとしているか、「私」に意識を向けることは
ほんどありません。
 
 
私達は「愛」と呼ばれる行為によって、何を得ようとしているのでしょうか?
 
 
認められたいのでしょうか?
承認されたいのでしょうか?
 
 
私達が愛されていると感じるのは、注目されていると感じる時、
気にかけてくれていると感じる時など、私という存在が承認され、
認められている時です。
 
 
それは言い方を変えれば、「私」の価値を認められたと感じた時です。
 
 
あるいは、「私」が存在してもいいと許可されたと感じた時です。
 
 
「私」の価値を認められ、あるがまま存在することを許された時、
喜びを感じ、幸せを感じます。
 
 
でも、その喜びは注目がなくなれば、一瞬で冷め、また次の
承認を求めます。
 
 
また、ずっと注目が続けば、その注目が当たり前になって、
喜びではなくなり、別の刺激が欲しくなります。
 
 
このようにして私達は承認されることを求めてさ迷うことに
なりますが、外側に承認を求めている限り、永遠にさ迷うことになります。
 
 
そして、さ迷う辛さを知っているので、私達は「愛」を感じた人に
執着し、「愛」を感じた思い出に執着し、「愛」を感じたやり方に執着します。
 
 
・ この人さえ握っていれば「愛」が保証される・・・
 
 
・ この思い出があれば、「愛」を思い出せる・・・
 
 
・ 〜すれば、愛を感じることができる・・・〜すれば、人が注目する・・・
 
 
・ こういう人間であれば愛してもらえる・・・
 
 
しかし、執着することで得たい「愛」が得られるかと言うと、
そういうわけではなく、執着によって苦しみを生み出すというのが
悲しい所です。
 
 
どんなにいい自己イメージでも、そのイメージを維持しようと固執し続け、
執着すれば、苦しみが生まれます。
 
 
こだわりも一つの美学として評価されますが、それも固執し、執着すれば、
苦しみが生まれます。
 
 
「私」という個性など私自身だと思っていたことも、実は私が執着している
考えであり、それから自由になることもできるということです。
 
 
執着、愛着という言葉あるように、愛はある対象物に「くっ着く」こと
でもあります。
 
 
通りすがりの人のように自分と全く関係がない人には関心も持たないように
無関心であれば、執着も愛着も持たないでしょう。
 
 
執着するということは、「私」がその対象物に関心を持っているということです。
 
 
当たり前のことを書いているようですが、これがとても重要です。
 
 
 
「諸行無常」
「この世に変化しないものはない」
 
 
仏教にはこのような教えがありますが、現象界に変化しないことは存在しません。
 
 
でも私達は過去の良かった出来事、喜びを感じた出来事、幸せを感じた出来事を
忘れることなく執着します。
 
 
「私のこと忘れないでね!」
 
 
人のことを覚えていることは関心があり、愛があることだと受け取ります。
 
 
でも、覚えていることは、あくまであなたという過去の記憶の中の
イメージであり、考えに過ぎないのです。
 
 
実際に昔の友人に今会ってみたら、全然違っていることは多々あります。
 
 
私達が過去のイメージの中に生きている証拠です。
 
 
しかし、私達はそれを愛と呼んでいます。
 
 
 
 
更に執着について考察してみましょう。
 
 
私の夫、妻、私の息子、娘、私の父、母・・・
 
 
私の車、私の家、私の会社、私の学校、私の仲間・・・
 
 
私達は自分と繋がりがあり、ご縁があった人、物、組織に対して
「私の」という所有の意識を持ちます。
 
 
しかし、この所有の意識には実体がなく、実は「私の」というレッテルが
どこかに貼ってあるわけではなく、たとえ貼った所ですぐにはがれてしまいます。
 
 
でも、私達はこの所有の意識にいつの間にか囚われ、
「私の」なのにうまく行かない〜と不満を創るようになります。
 
 
この所有の意識も一つの執着です。
 
 
「そんなこと言ったって、家族に対して執着を持つのは当たり前だろう〜」
 
 
そんなお怒りが聞こえそうですが、決して執着が悪いと言っているのでは
ありません。
 
 
執着しているというと「悪い」ことをしているイメージがありますが、
いい執着、悪い執着があるわけではありません。
 
 
それも私達が創ったイメージです。
 
 
ただある事象に囚われ、こだわっているだけに過ぎません。
 
 
それを「愛」と呼んでいたんだな〜
 
 
そんな観点を持ったら、楽になりますよ〜
という一つの提案です。
 
 
愛について達観できるようになると、楽になれます。
 
 
 
「私」を置いて、どれだけ外側のものに執着し、愛着を感じ、
意識を向けているかを自覚してみましょう。
 
 
面白いほどほとんどすべてだと思います。
 
 
 






そして、現在、葉山と伊勢にて好評開催中の「悟りクラス」を
9/14(土)から葉山にて開催いたします。

参加された方々は、皆さん、たくさんの気づきがあり、大変容されています。


囚われから解放されて、自由に、そして楽になりませんか?


 
 
 
ドルフィニスト篤
 
 
 
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