<私>を思い出すこと、         それが悟りです!

悟りカウンセラー・ドルフィニスト篤が、
自覚で悟りに至るためのヒントを綴ります。
自分探し Part2
前回に引き続き、「自分探し」について書いてみたいと思います。

「自分探し」をするとどうなるか?

今まで気づいていなかった自分自身を知るのが「自分探し」です。
自分を探すと、自分が気づいていなかった自分の個性、価値、魅力、才能、能力に気づいていくかもしれません。今まで自信を持てなかった自分に「こんなに素敵な所があったんだ」と自分のことが好きになるかもしれません。

自信が持てれば、人の言動は変わってきます。皆さんの周囲の人が、何らかのきっかけで自信を取り戻し、今までとは別人になってびっくりしたという経験はないでしょうか。

自分を探し、認めると、自分に対する価値、自己肯定感が上がってきます。それは、自分に与えられた個性、魅力、才能、能力に気づくことです。自分に与えられたもの気づけば、自然に周囲の人たちとの差別化に繋がります。

今は能力主義、格差社会と言われ、自分の個性、能力を出さなければ生き残れないという強迫観念があります。この生存の恐怖が、あなたの個性、価値、魅力、才能、能力を目覚めさせるきっかけになる場合もあります。しかし、生存の恐怖に駆られて、周囲との差別化を図ろうと間違った方向に力を入れ続けてしまうことは避けなければいけません。力を常に入れていないと物事が進まない状況は、何かが間違っているというサインです。あなたのスピリットと分断する方向に力が入っているのかもしれません。個性、価値、魅力、才能、能力に目覚める方向は、あなたの内側が常に教えてくれています。それは、スピリットが望むこと、心からやりたいと思うことです。これはすごく難しいことのように感じますが、喜びに溢れた人生にするための鍵なのです。

いい意味での、差別化、価値付けができたとき、あなたは与えられた個性、魅力、才能、能力を他人にシェアする奉仕の人生、しかし、喜びに溢れた人生が始まります。それはあなたから発信するという能動的な人生です。


スピリチュアルの世界では、「すべてはひとつ、ワンネス」という言葉がよく使われます。スピリットの私達は確かにひとつに繋がっています。しかし、この現実世界に生きている私達は、それぞれの肉体、顔を持ち、それぞれの歴史を持ち、一人として同じ人はいません。神様は、ひとつ、全体であり、部分です。神様は私達を通して様々な体験をし、自分自身の可能性を常に発見しようと「自己探求」をしています。

スピリチュアルの探求者でよく「すべてがひとつなんだから、そんなに頑張らなくていい、ありのままでいい」と言って、活動を辞めてしまっている方がいます。もちろんそういう時期も必要です。しかし、私達は神様がしようとしているように、常に自己発見、自己実現したいという衝動があります。何故ならそのために生まれて来て、ここに存在しているのですから。私達は現実の困難さの前に尻込みし、諦めてしまいがちですが、だからと言って、ずっと止まっているのがいいわけはありません。

また「私は他人とこれだけ違う、特別だと思うこと、差別化することはエゴだ」と考え、他人と差別化することを罪悪感を感じる人もいます。もちろんスピリットのレベルではみんなひとつであり、そういった意味で特別な人はいません。しかし、世間の目を気にし、遠慮して、自分に与えられた個性、魅力、才能、能力を使わず、自分の中に封印していることもエゴなのです。自分自身を肯定し、等身大の自分を認めることはエゴではありません。むしろそれによって自己実現が可能になるのです。

「生命の樹」のリーフクラスを受講された方は分かると思いますが、私達が「王冠」の目的を生きて、この現実に「王国」を創るためには、頭を使って、行動し、与えられた能力をフルに使わなければいけません。そして「王国」を創るための努力をしなければいけません。常に「私は何者か?」と自分自身に問い続け、それを軸に行動する。そうやって自己発見、自己実現し続けていくと、いつかそれが価値を生み、社会に認められていきます。それは結果的に自分を他と差別化することになります。私という歴史の積み重ねの結果、私という価値付けの作業、ブランド化と言ってもいいかもしれません。このワンネスと一見矛盾するような差別化の作業が大切です。自己を確
立することが先なのです。そうでないと、社会に貢献したいと思っても、あなたの思うように貢献できないかもしれません。社会生活において名刺や肩書きが大切なように、潜在的に持っている価値をしっかりと認識し、この現実に表現することが重要です。あなたの中の価値付けが名刺のようにあなたを表すようになるのです。皮肉ですね。

しかし、差別化を利用して、利益をむさぼる仕組みが社会には存在します。そこから貧富の差が生まれ、社会が歪みます。ですから差別化は悪と見なされる時もあります。確かに、必要以上に利益をむさぼる行為はしてはいけないことだと思います。しかし、そこはバランスが大切で、あなたの価値を提供して、それに対して、適切なお金が入ることはひとつも悪いことではありません。

また、どんなに楽しく、やりがいのある仕事をしていても、そのために犠牲にしている、抑圧している自分というのが存在します。仕事ばかりしていれば、外に遊びに行きたくもなるし、別のことをやりたくなるかもしれません。そんな時には、抑圧している自分にも付き合ってあげる必要があります。たまには遊びに行ったり、長期休暇をとったり。。。でも、その抑圧していた自分が、あくまでサブのあなたであるのならば、また本業に戻る必要があります。逃げてばかりではいられません。もしその「王国」を創ることがあなたの目的ならば。

それでは、そのバランスの指針はどのように取ればよいのか?それは、「すべてはひとつ、ワンネス」という視点を忘れないようにすることだと思います。そのバランス感覚はあなたのハートが知っています。自分の行動が社会
に歪みをもたらしている、不調和をもたらしているという感覚をキャッチすることです。また自分のハートが「今は辛いよ。休もうよ」と言っている自分の声に気づくことです。私達はがむしゃらに行動しているとき、このことを忘れてしまい、自分が行っていることが他人にどのように影響するか、地球にどう影響するか見失いがちです。また自分の抑圧している様々な本音が分からなくなり、暴走してしまうこともあります。すべてはひとつだという視点で、自分の行動が周囲や自分自身に影響を与えていることを常に考え、想像することが大切です。この高い次元の視点と、この現実の私達の行動が統合し、ひとつとなるとき、私達は素晴らしい社会と満足のある心を生み出すことができるでしょう。


| 生命の樹 | 00:08 | comments(0) | trackbacks(0) |
自分探し
最近は、メディアの影響もあり、スピリチュアルを求める傾向が強まっています。昔から日本人に「自分探し」をしたいという欲求はありましたが、ここ最近になって特に「自分って何だろう?」「自分自身に目覚めたい!」という日本人が多くなりました。現代は、個性重視の教育や、社会からの専門性の要請もあって、自らの価値を問われ続ける時代になりました。

この「自分探し」は、自己の確立、そして自分の存在意義、目的を達成する「自己実現」にまで結びついています。もともと、自己を確立しようとする欲求は西洋で起こりました。宗教が盲目的に信じられていた時代に自己の新しい可能性に開いていった、ルネッサンスは自己のそういった人間の欲求の表れでした。そして多くの革命を経て、すべての個人に権利や尊厳が認められ、個人の自由が獲得されました。個人主義の始まりです。この西洋で発達した「自己確立」という概念は、日本では明治以降、特に戦後日本人の中に組み込まれていきました。すべての人に個性があり、自分の人生を生きる権利がある。この主張は欧米に対する憧れと相まって、日本人はその道に急速に進みました。

しかし、本来日本人は「みんな一緒」、個性を重視するよりも、家や集団を重視してきました。コミュニケーションにおいても以心伝心で伝わってしまうような繊細さを持ち、自然と共存し、情緒を大切にしました。西洋が顕在意識、自我の文化であるとするならば、日本は無意識の文化であったと言えます。そのような文化の人々が急に個性を大切にし始めようとしても、それは大きなストレスの要因でもあったのです。

しかし、この個人主義の流れは世界の潮流であり、また、自らの人生の可能性を切り開く上で大切なことであります。私は日本人にとって、自分探しとは慣れない作業でありながら、緊急を要する課題だと思います。西洋の叡智である「生命の樹(カバラ)」は、日本人に「自分探し」の指針を与えてくれます。人間が自我をはっきり持ち、成長していく鍵が論理的な体系として与えられます。日本人が西洋の叡智を学ぶことは、自らの土壌にない新しい価値観を学び、自我を確立する上で助けになるでしょう。

今、日本人は、まずこの「自分探し」を行い、自らの自我を確立しなければなりません。そして自らの良さ、価値をはっきりと認識し、理解し、自覚しなければいけません。そして自我を確立させながらも、自らの土台である東洋の叡智を忘れてはいけません。多面的に全体を見る目を持ち、無意識、スピリットと繋がる東洋の叡智は、どんなに自我を確立させても忘れてはいけません。自我は物事をある一面、ある方向性を持って見る傾向があります。それが近代の科学であり、論理的思考です。これは非常に大切なことですが、一面だけを正しいと判断すると、往々にして間違いを犯してしまうのが、2極性の世界です。

西洋人は自我を確立させることが比較的容易だったのですが、同時に社会からの要請により、無意識、スピリットとは切り離され、抑圧された心の部分を持っています。それは自我を維持する上で、表面に表れない、犠牲になっている自分がたくさんいるということです。それらの自分は無視され続け、分断されたままになっています。今、日本人も個人主義になる中で、同じ苦しみの中にいます。無意識を大切にしてきた日本人にとって、分断され、抑圧された心はより辛く感じるでしょう。今そのストレスが様々な犯罪、心の病などの形で表れ、日本中を覆っています。この苦しみの中で、日本人は西洋と東洋という両方の文化を統合させるという極めて難しい問題に直面していますが、同時に人類において大きな役割を担っているのだと思います。
| 生命の樹 | 00:41 | comments(0) | trackbacks(0) |
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